W E L L I N G T O N S T O R Y
瀬戸内・坂出 手ごねハンバーグ専門店
S I N C E 1 9 8 8

第 1 章
橋の向こうから、人が来る。
そう信じた夏でした。
1988年4月10日、瀬戸大橋が開通しました。四国と本州が、はじめて陸路でつ ながった日です。
日本中がバブルの熱に浮かされ、どこもかしこもお祭り騒ぎのような時代でした。橋が 架かれば人が来る。人が来れば商売になる。誰もがそう信じていました。
その年の7月、ウェリントンは坂出に生まれました。
入口を入って左は、カフェレストラン。84席と、奥にVIPルーム。大きなアーチ状の窓 と、カウンターテーブル。洋食を中心にしたメニューで、砲金製のフライパンやノリタ ケの皿を使っていました。柱に掲げたコンセプトは「オールド&ニュー」。古いものと新 しいものの融合です。
入口を入って右は、ショットバー。44席。長テーブルにハイチェアを並べ、柱にはテレ ビを9台埋め込み、天井にはミラーボール。当時は珍しさもあって、テレビの取材や番 組の舞台としてもよく使われました。
いま店内の柱に残るテレビの跡は、その頃の名残です。
なぜ、飲食だったのか。
経験はありませんでした。ともに立ち上げることになった弟が「客商売がしたい」と言 った。それがきっかけです。
なぜ、坂出だったのか。
この場所には、父が営んでいた化学工場がありました。工場は廃業し、跡地が残ってい た。そこから始めた、それだけのことです。
つまりウェリントンは、壮大な志から始まったわけではありません。橋が架かり、土地 があり、弟がやりたいと言った。その偶然の重なりから始まりました。
第 2 章
メニューを減らすことが、いちばん怖かった。
開業から半年、橋の祭りが終わると、店の売上は急激に落ちました。
やがてバブルが弾けます。世の中は嘘のように停滞し、近隣の同規模の大型飲食店が、 次々と姿を消していきました。これまで売れていた高価な商品は、まったく売れなくな りました。赤字が、積み重なっていきました。
このままでは、この店も畳むしかない。
そのとき、わずかに残っていた売上の柱に気づきました。ハンバーグでした。
当時のハンバーグは、社外から挽肉を仕入れてつくる、特段のこだわりもないものでし た。それでも、この状況で愛されている商品がハンバーグだったのです。
それならば、全身全霊のハンバーグをつくろう。
売れないメニュー、赤字のメニューを、すべて捨てました。ハンバーグを主役にしたメ ニューに組み替えました。
反対はありました。とくに厨房の職人からは、強い反発を受けました。
絞るということは、捨てるということです。後戻りはできない。一度きりの人生、精い っぱいやってみよう。そう腹を決めました。
結果は、すぐに出ました。赤字が、わずかながら黒字に転じたのです。数字は覚えてい ません。ただ、あのときの感覚だけは、いまでもはっきり覚えています。
そして1990年、もう一つの決断をしました。挽肉の仕入れをやめ、ブロック肉から自分 たちでひく。
肉を自分でひくということは、部位も、粗さも、脂の量も、すべて自分たちで決めると いうことです。同時に、手間も設備も人も、すべて自分たちで抱えるということでもあ ります。
この日から、ウェリントンは「ハンバーグを出す店」ではなく、ハンバーグをつくる店 になりました。
第 3 章
機械でこねると、
練り生地になってしまうんです。
ウェリントンのハンバーグは、こねる工程も、成形も、すべて手作業です。冷 凍商品も例外はありません。

なぜ、機械でこねないのか。
機械でこねる場合、挽肉をバスケットに入れ、調味液と一緒に攪拌棒で混ぜます。この とき、挽肉と調味液の自重で、肉が潰れていきます。攪拌棒でも潰れます。自重で潰れるのは、機械ごねの宿命です。
こうして出来上がるのは、練り生地です。
練り生地でつくったハンバーグには、挽肉の粒感がありません。そして肉汁のもとは、 かろうじて生地にまとわりついているだけなので、焼けば蒸発していきます。焼き上が りはパサつく。それを補うために、添加物を入れることになります。
肉汁もどきのハンバーグは、焼いても丸々としません。本当の肉汁が、抜けてしまって いるからです。

手でこねる。それも、潰さないように丁寧にこねる。そうすると、本物の肉汁がハンバ ーグの中に残ります。だから焼き上がりは、丸々とした形になるのです。
なぜ、機械で成形しないのか。
型で抜けば、同じ形が高速でできます。けれど型抜きの生地は、焼いたときの火の入り 方が均一になりません。厚みや密度のわずかな偏りが、焼きムラになって表れます。
手で成形するのは、その偏りを、そのつど手で調整するためです。

一度、試したことがあります。
先代の頃、こね機を買ってきて試しました。使いませんでした。理由は一つです。時間 よりも品質を、それもオンリーワンの品質を選んだからです。
1日に何個成形するか、何時間かかるか。計算してから決めたことではありません。手 でやると決めて、その中で最適なやり方を見つけていった。効率ではなく、真似のでき ない美味しさを先に置いたからです。
そしてこの工程には、役員も入ります。肉をひくところから、こねる作業、成形まで。 誰かに任せきりにはしていません。
極ハンバーグ 220g(調理前)
配合の考え方は、単純です。おいしさ、それだけ。
独自の「2段仕込み」を経て、1日から2日、熟成させます。ふつう、仕込みは1段階で す。2段階を踏んでいるのは、おそらく当店だけだと思います。
配合を見直した回数は、少なくとも数百回。集中的に試作を繰り返した時期は、半年に 及んだこともあります。
いまも、完成したとは思っていません。
金冠オリーブ牛入り 牛100ハンバーグ
讃岐オリーブ和牛を使う理由は二つです。地産地消。そして切れのよい味わい――後を 引かない、という言い方がいちばん近いかもしれません。
これまでに4度、根本から作り方を変えています。
一度目|挽肉を、自社でひく(1990年)
業者からの仕入れをやめ、ブロック肉から自分たちでひくようにしました。
二度目|焼き方を、根本から変えた
焼成の考え方を、ゼロから見直しました。既製のオーブンをそのまま使うのではなく、 当店の生地に合わせて手を入れた専用の設備で焼いています。
三度目|冷蔵庫の中で、こねる
こねる作業を、冷蔵庫の中で行うようにしました。温度が上がると、生地は劣化しま す。脂が溶け、粒感が失われ、焼き上がりの食感が変わってしまう。それを防ぐためで す。
四度目|調味液と、こね方
調味液の配合と、こね方そのものを変えました。目指したのは、やわらかくジューシー で、とろけるような食感。ここで、いまの極ハンバーグにたどり着きました。
第 4 章
1日およそ650個。その一つひとつを、手で。
1日に仕込むのは、およそ8ボール。1ボールが16キロですから、1日およそ128キロ。ハ ンバーグは170gと220gの2種類、平均すると1個195gです。
営業日は年間364日。休むのは元旦だけです。
計算すると、年間およそ23万個。
この水準になったのは、ここ6年ほどのことです。ハンバーグに絞った1990年と比べれ ば、2倍以上になりました。
季節や外の環境で数字は動きますから、正確な数は出せません。それでも、この23万個 のすべてを、手でこね、手で成形していることだけは、変わりません。
つくっているのは、35人です。

第 5 章
この3つは、お客様ではなく、
まず私たちのための言葉です。
この理念が生まれたのは、ある別れのあとでした。
経営を学ぶ場で、長く師事した方がいました。厳しく、そして一片の疑いもなくこちら の成長を信じ、本気で向き合ってくださる方でした。その方を、突然に亡くしました。
心にぽっかりと穴が開いたようで、しばらく何も手につきませんでした。
そんなとき、ひとつの言葉が浮かびました。「自燈明、法燈明」――釈迦が入滅にあた って弟子に遺したとされる言葉です。
自らを灯明とし、自らを依処として、他人を依処とせず。
亡くなった師に頼るのではなく、自分が自分を信頼できるようになろう。そのために、 心ある経営理念をつくろう。そう思いました。
そうして生まれたのが、「生き生き・ワクワク・たのしく」です。
会社は、誰のためにあるのか
かつて私は、会社は外に向いたものだと思っていました。お客様のため、地域のため。 考えを変えた出来事があります。ある社員のご家族に、突然の不幸がありました。深い 悲しみに沈む姿を前にして、会社って何だろうと、あらためて考えました。
企業の目的は、外側だけにあるのではない。内側――スタッフと、その家族にもある。
経営とは、社業を通じて、社員さんが自分の使命を果たせるようにすること。会社は、 そのための舞台です。
認め合い、活かし合い、成長し合う
人は誰も、完璧ではありません。もし完璧なら、集まる必要も、会社をつくる必要もな い。ひとりで生きていけます。
けれど世の中はそうなっていない。誰もが幸せになりたいし、生まれてきた価値を感じ たい。だから人は集まるのだと思います。
上に立つ者の役割は、本人さえ気づいていない長所を見つけ、本人がそれに気づける環 境をつくること。そこに全身全霊で関わることだと考えています。
私自身の指針は、「照らし、磨き、輝く」。この3つの言葉に、その意味を込めています。
そして、経営の基となる経営指針書は、社長ひとりでつくるものではありません。幹部 とともにつくらなければ、夢を共有できず、動くことも実現することもないと考えてい ます。
第 6 章
あの一言が、すべてを報いてくれました。
まだ思うようなハンバーグができず、日夜もがいていた頃のことです。
アンケートに、こう書かれていました。
これほどおいしいハンバーグは食べたことがない。
心底、嬉しかった。それまで頑張ってきた日々が、この一言で報われた気がしました。 そして同時に、どんなことがあっても一生つくり続けようと決めました。
いまも、あの一枚のアンケートが原点です。
この店で、起きてきたこと
近くの病院に入院されている方が、退院してウェリントンのハンバーグを食べるため に、闘病をがんばってくださっている――そう聞いたことがあります。
この店でプロポーズをされた方がいます。この店でお見合いをして、いまは家族になら れた方がいます。
好き嫌いの多いお子さんが、ここのハンバーグだけはペロッと食べてしまう、と笑うお 母さんがいます。
亡きご両親との思い出の店です、と話してくださる方がいます。
そして――
喜びごとがあるたびに使っています。私たち人生の栞です。
これ以上の言葉を、私は知りません。
ウェリントンのハンバーグを、全国の方に知っていただきたい。
坂出の一軒の店で始まったものを、どこまで届けられるか。まだ道の途中です。
W E L L I N G T O N S T O R Y
瀬戸内・坂出 手ごねハンバーグ専門店 SINCE 1988
平日 11:00〜21:00(L.O. 20:20)
土日祝 10:30〜21:00(L.O. 20:20)
定休日 元旦のみ
